2014年09月28日

南京(2)

日高信六郎(外交官・元イタリア大使元日本山岳協会会長事件当時、南京駐在参事官)
「しかし、何と言っても、残虐事件の最大の原因の一つは、上層部の命令が徹底しなかったことであろう。たとえば捕虜の処遇については、高級参謀は松井さん同様心胆を砕いていたが、実際には、入場直後でもあり、恐怖心も手伝って無闇に殺してしまったらしい。揚子江岸に捕虜たちの死骸が数珠つなぎになって累々と打ち捨てられているさまは、いいようもないほど不愉快であった。
しかし心がけのいい軍人も少なくなかったし、憲兵もよくやっていたが、入城式の前日(十二月十七日)憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという次第であったから、兵の取り締まりに手が廻らなかったのは当然だった。
そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。
戦争がすんでホッとしたときに、食料はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃やす前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「御苦労さん」
という代りに撃ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった」
(広田弘毅伝記刊行会編『広田弘毅』より)

重光葵(外交官・東條内閣小磯内閣外相・鳩山内閣副総理外相)
「然し俘虜及敵国人に対する日本人の考え方は日露戦争当時の考え方とは全然異なつた方向にあつた。軍及右翼を中心とする思想の動き方は戦争前、特に満州事件前後より急激に反動的となり、「日本精神」「皇軍思想」は無意味なる優越感となり、外国軽侮となって居った。底(低)劣なる唯我独尊、切り捨て御免の思想となり態度となって、支那、南方に於ける我軍隊の行為は実に言語道断であって、進駐当初は南京でも香港でもシンガポールでもマニラでも虐殺、殺戮、強盗、掠奪、強姦、暴行、収賄、不正等、殆ど悪魔の軍隊であったのは事実である。日本人が何時如何にして斯程迄堕落したか殆ど想像も付け得なかった。戦争による一時の昂憤(奮)として片付ける訳には行かぬ」
(重光葵『続重光葵手記』(中央公論社1988))


堀場一雄(陸軍大佐・支那派遣軍参謀、第五航空隊(支那・朝鮮)参謀副長など歴任)
「軍の前線に於て、動もすれば行はれたる放火、掠奪、暴行等は、戦争現象として陥り易き通弊なりと雖、甚だ遺憾の事に属す。而して此等は単純に軍のみを鞭つべきか、招集者大部を占むる軍の構成に於て寧ろ国民的反省を要する点大なりとす。況んや未教育及年次古参なる招集者に於て悪質且多発なるを常態とせしに於てをや。
上海、南京始め奥地に亘る一般邦人の横暴占拠の様相は、当時戦争指導当局及総軍当局をして顰蹙せしめたり。又政府及興亜院の権益施策は、徒らに全面的経済独占の方向に進み、彼此相累積し支那のために何が残れるやの感を抱かしめ、内約交渉を混乱し、現地の建設を阻碍(そがい)し、国家の信義に疑を生ぜしめたること等、百害枚挙に遑(いとま)あらず」
(堀場一雄『支那事変戦争指導史』(時事通信社1962))

矢次一夫(国策研究会主宰)
「女房もちの多くの兵たちが、突然動員され出征させられるのだから、中国各地で性犯罪が頻発するであろうことは自明だったのだが、これを抑制したり取り締まったりする方法はなかったわけだ。事実当時の逓信事務次官だった小野猛は、極秘だが、お目にかけよう、といって、数冊の分厚い写真帳を貸してくれたので、ひらいて見たら、暴行のかぎりをつくした写真が一杯ある。血刃を指し上げている一兵士の周囲に、数十箇の中国兵の首級が陳列されているものだとか、近衛に相似した中国兵の首級を木の枝にひっかけ、葉巻をくわえたような形で切断した男根を口にさしこんだものだとか、今や正にエイッと中国兵を打首にしようとしているものだとか、筆紙につくしがたい残虐写真が満載されていた」
「私はこれをちょっと貸してくれ、と頼み、正午の国策研究会常任理事会にもちこんで、食事が済んだら大変な資料を見せる、と言ったら、下村海南、大蔵公望、今井田清徳、大橋八郎などの役員たちが、食事前でもよいから、見せろ、といって聞かない。私が、食事がまずくなる、というのに、下村海南など、思わせぶりをするなよ、早く見せろ、というので、では、といって写真帖を開いた。一同はこれを取り囲んで一見するや否や、さすがに顔色が変わり、ううんと唸ったっきり、しばらくは一言を発するものもない。これらの写真は、小野の説明によると、出征兵士たちが、自己の武勇?を誇示するためかどうか、写真に撮って家郷に送ったものが、途中検閲によって押収されたものだということだ。日本民族に潜在する残虐性が戦場という異常状態で爆発したものであるにせよ、かつて外国人によって書かれた『泰天二十年』に見られる日露戦争当時の、軍規整々、を謳われたものと同じ日本人、しかも私共の祖父の時代であるだけに驚きは大きく、とくに下村海南は、日露役当時逓信省の局長として活躍した人物だけに、痛恨の情は、ひとしおであった」
(矢次一夫『昭和動乱私史上巻』)


『南京戦史』の80-81ページ

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(…)私たちは百二十人で幕府山に向かったが、細い月が出ており、その月明のなかにものすごい大群の黒い影が……。私はすぐ“戦闘になったら全滅だな”と感じた。どうせ死ぬのならと度胸をきめ、私は道路にすわってたばこに火をつけた。(中略)
ところが近づいてきた彼らに機関銃を発射したとたん、みんなが手をあげて降参してしまったのです。すでに戦意を失っていた彼らだったのです。
【関連する記事】
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南京虐殺

南京事件の映画の件
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1176921079/
ここで肯定派らが、
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1176921079/85-88
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1176921079/178-184
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1176921079/206-207
と記録

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「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」(阿南惟幾元陸軍大臣S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」(真崎甚三郎元陸軍教育総監『真崎甚三郎日記』S13.1.28)

「南京への進入にあたって松井大将が隷下に与えた訓示は、ある部分、ある層以下には、浸透しなかったらしい。外国系の報道の中にはかなりの誇張や中傷の事実は認められたし、特に中国軍の特質などから、避け得なかった事情もあったようであるが、いずれにせよ、後日戦犯裁判に大きく取り扱われ、松井大将の絞首刑の重大理由をなしたような事実が現われた」(河辺虎四郎元陸軍参謀次長『市ヶ谷台より市ヶ谷台へ』)

「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」(重光葵元副総理『続重光葵手』)

「電信専門の(外務省)官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。敗走する中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、筆舌を絶する乱暴を働いた事実である。あまりに乱暴狼藉がひどいので、石射猪太郎東亜局長が陸軍軍務局長に軍紀の是正を求め、広田外相も陸軍大臣に強く注意して自制を求めた。軍は参謀本部二部長・本間少将を現地に送って、ようやく事態は沈静に向かった」(法眼晋作元外務政務次官『外交の真髄を求めて』)

「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。(中略)南京虐殺があったとかなかったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです」(徳川義寛元侍従長『侍従長の遺言』


「筆者は48年昔のこの事件のあった頃、陸軍大学校の学生であったが、すでに南京戦線である種の「不法行為」の行われたことを耳にしていた。大学校の学生の耳にも洩れてくるほどこの問題は軍中央部を悩ましたのであったのだった。従っていわゆる「南京事件」については日本軍が「シロ」であったとは筆者は初めから認識していない」(加登川幸太郎元陸軍参謀・軍事評論家『偕行』掲載「証言による南京戦史」)

「戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は一地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、敵に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した」(上砂勝七元柳川軍憲兵隊長『憲兵三十一年』)

「南京占領後における日本軍の南京市民に加へた暴行が相当にひどいものであつたことは、蔽ひ難き事実である。当時私は北京に住んでゐたが、南京虐殺の噂があまり高いので、昭和十三年の夏、津浦線を通つて南京に旅行した。南京市街の民家が概ね焼けてゐるので、私は日本軍の爆撃によつて焼かれたものと考へ、空爆の威力に驚いてゐたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いづれも南京陥落後、日本兵の放火によつて焼かれたものであつた」
(滝川政次郎法学者・東京裁判日本側弁護人『東京裁判をさばく(下)』)

「そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食料はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃やす前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「御苦労さん」という代りに撃ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった」(日高信六郎元イタリア大使(当時、南京駐在参事官)広田弘毅伝記刊行会編『広田弘毅』)


「入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき、油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた
また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり、逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した」
(石川達三作家『読売新聞』掲載「裁かれる残虐『南京事件』」)

「見たもの全部を撮ったわけではない。また撮ったものも切られたものがある。(中略)私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺をされるであろう人々を沢山見たが余りにも残酷な物語はこれ以上書きたくない」(白井茂映画カメラマン(東宝記録映画『南京』撮影者)『カメラと人生』)

「当時の日本人というのは少しいかれてるから、自分の悪いこと、日本の首をしめるような写真をどんどんとって得意になっている。それをこともあろうに中国人の写真屋に現像してもらう。そういう間抜けなところがある」「しかし、入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として充分いえるね」
(大宅壮一ジャーナリスト『サンデー毎日』掲載「大宅考察組の中共報告」)

参考

「谷大佐の陸戦術は、興味と教訓の多い名講義だったが、ただひとつ私の心に引っかかったのは、「勝ち戦の後や、追撃戦のとき、略奪、強盗、強姦はかえって士気を旺盛にする、・・・・」という所見だった。後日、日華事変で柳川兵団(第十軍)に付属した谷師団長が、南京残虐事件に連座されたことは周知のことであるが、残念でならない」
(高木惣吉元海軍少将(海軍大学校時代の回顧)実松譲『海軍大学教育』)


松井岩根(軍人・当時、中支那方面軍司令官)
「さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせるものもない、さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから捕虜を始末することが出来ない、それでちょん斬つてしまうといふことになつた」
(『南京大虐殺の研究』所載「内外法制研究会第一三〇号松井岩根氏談我が大陸政策と軍」)

岡村寧次(軍人・武漢攻略戦の第十一軍司令官として中国に赴任、後、支那派遣軍総司令官)
「中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し」
(『現代歴史学と南京事件』所載「岡村寧次大将陣中感想録」)


早尾乕雄(医師・当時、陸軍軍医中尉として上海に赴任中)
「余ガ南京へ入ツタノハ陥落後一週間デアツタカラ市街ニハ頻々ト放火ガアリ見ル間市内ノ民家日本兵ニヨリ荒サレテ行ツタ。下関ニハ支那兵屍体ガ累々ト重リ是ヲ焼キ棄テルタメニ集メラレタノデアル。目ヲ揚子江岸二転ズレバ此処二山ナス屍体デアッタ。其ノ中二正規兵ノ捕虜ノ処置ガ始マリ海軍側ハ機関銃ヲ以テ陸軍ハ惨殺、銃殺ヲ行ヒ其ノ屍体ヲ揚子江へ投ジタ。死二切レナイ者ハ下流二泣キ叫ビツ、泳ギユクヲ更二射撃スル。是ヲ見テモ遊戯位ニシカ感ジナイ。中ニハ是非ヤラシテクレト首切リ役ヲ希望スル将兵モアル。〔中略〕揚子江二沈ンダ正規兵ノ屍体ハ凡二万人位ト言ハレル」
(『現代歴史学と南京事件』所載早尾乕雄「戦場心理ノ研究−総論−」)


「昭和十四年二月に作成された陸軍省秘密文書第四〇四号「事変地ヨリ帰還ノ軍隊、軍人ノ状況」の一部をここに引用したい(原文は片かな)。

「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから、思う存分掠奪するものもあった」
「ある中隊長は『余り問題が起らぬように金をやるか、又は用をすましたら後は分からぬように殺しておくようにしろ』と暗に強姦を教えていた」
「戦争に参加した軍人をいちいち調べたら、みな殺人強盗強姦の犯罪者ばかりだろう」
中国戦線にある日本軍の軍紀のゆるみは、個人のレベルではなく、すでに集団になっていることを、これらの言葉は示している」
(石川達三『生きている兵隊』(中公文庫1999)所載半藤一利「『生きている兵隊』の時代解説に代えて」より)


出版警察報第百拾壱号p.22

日本武道新聞第五五號福岡市一月十五日發行
日本武道奨一月十七日禁止
励曾發行

「戰地だより」ト題スル記事ハ我ガ軍ガ支那良民ニ對シ惨虐ナル行為ヲ為シ居ルガ如ク記述シ厳粛ナル皇軍ノ規律ニ疑惑ノ念ヲ生セシムル處アリト認メラルルニ因り禁止。

(前略)又反面に日本軍に對し行動疑惑ある部落の如きは之を攻め妻女の前にて夫を斬り子の前で親を撃ち家に火を放ち之を掃蕩する事もあります。

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出版警察報第百拾壱号p.62

西部葉子飴新報第二〇三號福岡懸發行二月五日發行
二月四日禁止[ママ]

「支那膺懲戰に活躍中の寺田重人氏云々」ト題スル記事ハ戰線ニ於テ我軍ニ非人道的行動アルガ如ク描寫シタルモノニシテ皇軍ノ威信ヲ失墜セシムル處アルニ因リ禁止。

(前略)軍刀も物を言ひました良く切れますよ刃こぼれ一ツせずチヤンコロの首が見事に落ちました敗残兵見付け次第一人殘せす切ころして居ります面白いものです(中略)戰敗國のあはれさ男と云はず○と云はず見付次第殺されて居ります一人殘
さすと言ふ意気込みです丁度重行位の子供の死體を見た時一瞬ハツト致しました。

講談社「INPOCKET」2003年9月号より(対談保阪正康・京極夏彦)

保阪:こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心の中で、ものすごく傷ついている人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてない」とか言うんですよ。だけど、「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことしたんじゃないですか」みたいに話してたら、そのうち「君にだけ話したい」といって、日をあらためて来いという元軍人もいました。
京極:それはどんな方ですか。
保阪:戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車の中で四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせているというんです。なぜかといった
ら、やっぱり中国で三光作戦をやって、四、五歳の子どもを殺した体験をもっていたんですよ。家に火をつけると子どもが逃げてくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われたっていうんです。心の中はガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。
京極:うーん
保阪:自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。


南京事件の4ヶ月前に山西省で戦死した、熱烈な天皇主義者だった故杉本五郎中佐の遺著『大義』(昭和13年5月刊)の17章「戦争」より

「大義明白なる戦争発起も、之れに従ふ上下、大義不分明ならば、各々自己を執ってその保存に懸命の努力を終始せん。上はその功を競ひて他の損傷を顧ず、下は自己保存の極限を発揮して上を怨嗟す。一度敵地を占領すれば、敵国民族なる所以を以って殺傷して飽くなし、略奪して止まる所を知らず。万端悉く、皇軍の面目更になし。
皇道は空華、施布は国裏の禅(えそらごとの意)、現皇軍が皇化第一線の使徒たること遠しも遠し、正に白雲万里なり。・・・・然るに見よ、一会戦終わる毎に、上下の秩序は愈々乱れ、下は増上漫となり、自己所属の将にあらずんば、全く無差別下克上となり、
上之れを指導するの明識を欠き、功名に酔ひて一時を糊塗して、
皇軍崩壊の遠因素縁をなし、皇国の安危慮外に在るものの如し。
皇軍緒戦に於いて既に然り。世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。
其の滅亡の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる利己心ならずや。
かくして今次の戦争は帝国主義戦闘にして、亡国の緒戦と人謂わんに、誰人が何んと抗弁し得るものぞ」

この本『大義』は戦時中出征学徒に聖書とまであがめ読まれたが、当時この部分は伏字にされ刊行された

二.二六事件後、憲兵司令官に任ぜられた中島中将の部下であった大谷敬二郎氏(敗戦時憲兵大佐、東部憲兵司令官)は、その著『陸軍80年』(『皇軍の崩壊』の改題、一九七八年、図書出版社)で、中島中将について、次のように伝えている。

「憲兵司令官当時、しばしば常軌を逸することがあり、部下たちを困らせていた。いささか異常性格と思わせる節がないでもなかった。この師団長が南京市の警備責任者であったのだ。昭和一
三年一月はじめ、南京を訪問した陸軍省人事局長阿南少将が中島中将に会ったとき、”支那人なんかいくらでも殺してしまうんだ”とたいへんな気焔をあげていたとも伝えられていたが、この
司令官のもとでは、殺人、略奪、強姦も占領軍の特権のように横行したであろう。現に彼は、のちに満州の第四軍司令官当時、蒋介石の私財を持ち出して師団偕行社に送っていたことがばれて、予備役に編入されている。当時、東京にはこの師団の非道さは、かなり伝えられていた。こんな話がある。松井兵団に配属された野戦憲兵隊長は宮崎憲兵少佐であったが、あまりの軍隊の暴虐にいかり、現行犯を発見せば、将校といえども直ちに逮捕し、いささかも仮借するな、と厳命した。ために、強姦や略奪の現行犯で、将校にして手錠をかけられ憲兵隊に連行されるといった状
況が続いた。だが、これに対しつよく抗議したのが中島中将であった。この間の事情がどうであったか、くわしく憶えないが、当の宮崎少佐は、まもなく内地憲兵隊に転任される羽目となった。
これでは、戦場における軍の規律はたもてない。高級指揮官が、略奪など占領軍の当然の権利のように考えていたからだ。すでに軍はその質を失っていた」

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2014年09月25日

安倍政権の「女性活躍」は女性もネオナチ・在特会と共にヘイトスピーチ・性暴力・性差別を「取り戻す」こと


安倍政権の「女性活躍」は女性もネオナチ・在特会と共にヘイトスピーチ・性暴力・性差別を「取り戻す」こと

井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014年9月22日 16時4分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140922-00039290/


ナチスドイツを批判されても「ドイツの名誉を傷つける」とは思わない今のドイツ、一方、日本は…

ナチスドイツのホロコーストを国内外で批判されても、今のドイツ政府やドイツの国民は、「ドイツという国とドイツ人の名誉を傷つける」とは思いません。なぜなら「過去に目を閉ざす者は、未来にたいしても盲目になる」「われわれには、ナチス・ドイツが与えたすべての苦しみと、その原因について、記憶を風化させない責任がある。その責任に終わりはない」という認識をベースにしているからです。このことは以前のエントリーでも紹介しました。

ところが、日本においては、ナチスドイツのホロコーストと並ぶ人権侵害である「慰安婦=日本軍性奴隷制」を国内外で批判されると、「日本国と日本人の名誉を傷つける」と今の安倍政権や一部の政治家、マスコミなどが憤慨しています。どうしてドイツとは違った反応になってしまっているのでしょうか?

ナチスドイツを「取り戻す」と思わない今のドイツ
大日本帝国を「取り戻す」と思っている日本の政治家


それは、安倍首相が特別顧問をつとめている「日本会議」議連の主張を見ればよくわかります。おおざっぱに言えば、大日本帝国の侵略戦争は「アジア解放」の「正義の戦争」だから靖国神社天皇参拝を実現すべきで、現在の諸々の日本社会の問題は大日本帝国の理想から逸脱してしまった結果だから「大日本帝国を取り戻す」必要があるのだというのが「日本会議」の主張です。ナチスドイツと同盟を結んでいた大日本帝国こそ理想国家で、大日本帝国を「取り戻す」のが政治信条ですから、その大日本帝国が「慰安婦=日本軍性奴隷制」などと国内外で批判されることは、安倍首相にとっては「名誉を傷つける」ことになります。今のドイツでナチスドイツを「取り戻す」などと思っている人はおそらくごくごく一部のネオナチ主義者だけでしょう。今のドイツはナチスドイツを「取り戻す」などとは思いもしないけれど、今の日本は大日本帝国を「取り戻す」と思っている政治家が権力を握ってしまっているところが日本とドイツの大きく違う点なのだと思います。

安倍内閣の78.9%が「大日本帝国を取り戻す派」

今のドイツとは逆向きの安倍政権で、「大日本帝国を取り戻す」ための「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)に所属する政治家は、安倍首相を含む19人の閣僚のうち15人で、なんと78.9%も占めています。安倍内閣の78.9%が「大日本帝国を取り戻す派」で占められているのです。女性閣僚では、高市早苗総務大臣が「日本会議」議連副会長、山谷えり子国家公安委員長が政策審議会長、有村治子女性活躍担当大臣は政策審議会副会長をつとめています。そして、稲田朋美自民党政調会長は政策審議会副会長です。

安倍首相の「日本国の名誉を傷つける」→正しくは「大日本帝国の名誉を傷つける」

「大日本帝国を取り戻す派」にとって、「大日本帝国が不正義の侵略戦争でアジア2千万人、日本兵230万人(うち6割の140万人は餓死)の犠牲を出した」とか「ナチスドイツのホロコーストと並ぶ慰安婦=日本軍性奴隷制で女性の人権を蹂躙した」などという歴史事実はとにかく理屈抜きに無かったことにしたい問題です。「慰安婦=日本軍性奴隷制」と国内外で批判されると「日本国の名誉を傷つける」と安倍首相ら「大日本帝国を取り戻す派」が言っているのは、正しくは、「大日本帝国の名誉を傷つける」ということです。

「説得できない有権者は抹殺」するネオナチと親和性が高くならざるを得ない安倍政権

そうすると必然的に歴史事実を捏造するネオナチと親和性は高くならざるを得ません。それを裏付ける事実として、安倍政権の高市早苗総務大臣や稲田朋美自民党政調会長らはネオナチ団体代表とツーショット写真を撮り、「説得できない有権者は抹殺」などと指南する自民党のナチス礼賛ヒトラー本を高市早苗氏が推薦するなどしています。

また、ナチスドイツや大日本帝国に欠かせなかった人種差別、ヘイトスピーチ国家づくりという点では、在特会幹部と「20年来のお付き合い」があったり献金されたり在特会系行事に参加しまくっていた山谷えり子国家公安委員長や、在特会系告知の集会に参加しデモ隊前に現れて握手をしたり記念撮影していた安倍首相、そして、ヘイトスピーチに対する問題意識が皆無に等しいとみられる松島みどり法務大臣など、ヘイトスピーチも「取り戻す」流れにあります。

国民の良識を代表し警察行政を民主的に管理するトップ=山谷えり子国家公安委員長がヘイトスピーチで有罪判決受けた在特会幹部と「諸々の事案を相談」

ネオナチ団体も在特会もヘイトスピーチをいつも行っていますが、現在のヘイトスピーチとはどういうものか? あらためて毎日新聞2013年10月24日付の記事の一部を紹介しておきます。ちなみに、この記事の中に書かれている京都の朝鮮学校へのヘイトスピーチで有罪判決を受けるなどして収監中の在特会幹部2人と山谷えり子国家公安委員長は一緒に写真を撮っていたのです。山谷えり子国家公安委員長はこの在特会幹部らとただ記念撮影しただけでなく「諸々の事案を相談」していたのです。国家公安委員会のサイトにある「国家公安委員会とは?」には次のように書かれています。

(国家公安委員会は)国民の良識を代表する者が警察を管理することにより、警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保を図ろうとするものです。

出典:国家公安委員会のサイト


「国民の良識を代表する者」「警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保を図ろうとするもの」のトップである、山谷えり子国家公安委員長がヘイトスピーチをいつも行う在特会と一緒に「諸々の事案を相談」していたというのは、今の安倍政権と「産経新聞」や「読売新聞」などマスコミが大々的に行っているヘイトスピーチ国家づくりを象徴するものだとも言えるでしょう。それでは毎日新聞の記事の一部です。

在特会ヘイトスピーチ違法判決
毎日新聞 2013年10月24日付


大音量の街宣活動で京都の朝鮮学校を中傷した「在日特権を許さない市民の会」(在特会)側に、京都地裁は今月7日、約1226万円の賠償と街宣活動の禁止を命じた。民族や出自を理由としたヘイトスピーチ(憎悪表現)は「人種差別であり違法」とした画期的な司法判断だ。東京・新大久保などで同様のデモを取材してきたが、聞くに堪えない罵詈(ばり)雑言は明らかに「表現の自由」の範囲を逸脱していると感じてきた。在特会側は控訴したが、判決は当然であり、これを機にヘイトスピーチの横行に歯止めがかかることを期待したい。

判決によると、在特会メンバーらは2009年12月〜10年3月、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「朝鮮人は保健所で処分しろ。犬の方が賢い」「ゴミはゴミ箱に」「ぶち殺せー」などと怒号を浴びせた。(中略)

威圧的な言動泣き出す児童
彼らが撮影した街宣の映像はインターネット上で公開されている。一度見れば、いかに悪質で威圧的な言動だったかが分かる。校舎内には多数の児童や教職員がいた。窓やカーテンを閉めたり、音楽の音量を上げたりしたが防ぎきれず、低学年の児童の多くが恐怖のあまり泣き出したという。(中略)できれば現場に足を運び、多くの人にデモの実態を知ってもらいたい。新大久保では大勢が「殺せ、殺せ、朝鮮人」「新大久保を更地にしてガス室をつくるぞ」などと叫び、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と記したプラカードを掲げる人までいる。
【毎日新聞 2013年10月24日付より一部抜粋】


それから、フィリップ・ロス著『プロット・アゲンスト・アメリカ』という歴史改変小説があります。もしも第2次大戦時に反ユダヤ主義者リンドバーグが大統領になっていたら歴史はこう改編されていたかも知れないという小説です。この小説の中で大統領(政治のトップ)が人種差別を扇動する人物になると最初に国民の間で沸き起こるのがヘイトスピーチであることが描かれています。この小説を中島京子さんは次のように書評しています。
世界が狂っていくのを知りながら、なすすべのない少年の目に、愛(いと)おしい者たちがそれぞれに、そうあってほしくない状態におちいっていく。読んでいると、これらがすべて現在進行形でわが身に起こっているように感じられてくる。<ありえたかもしれない>過去は、<ありえるかもしれない>現在や未来と地続きだ。自分(たち)と異なると思われる人々を敵視し排除しようとする考え方は、残念ながら、つねに私たちのそばにある。この小説はそうしたものの怖さを、皮膚感覚的なリアリティでダイレクトに伝えてくる。

出典:毎日新聞2014年9月14日付 今週の本棚:中島京子評『プロット・アゲンスト・アメリカ』フィリップ・ロス著


今の日本社会が相当危険な状況にあることが示唆されていると思います。それから、きっこさんが紹介されている「読売新聞の従軍記者 小俣行男氏の記録」を転載させていただきます。

従軍慰安所が「けっして安全なところでないことは戦地の常識である」
だまされて「慰安婦」にさせられた16歳、17歳の少女の状態が「日本軍性奴隷」であることを読売新聞記者も記録していた
「読売新聞の従軍記者 小俣行男氏の記録」

1942年5月か6月頃 ビルマ(現ミャンマー)

(朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)

私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか」

考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブ(将校専用の慰安所)がけっして安全なところでないことは戦地の常識である。その後この少女たちはどうなったろうか。

※出典 小俣行男著『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社(1967年)より【きっこさんのTwitLongerから転載】


ところが現在の「読売新聞」は「慰安婦」にだまされてさせられた16歳、17歳の少女を「性奴隷ではない」と大宣伝中

現在の「読売新聞」は、「慰安婦=日本軍性奴隷制」など存在しなかったと繰り返し報道するだけでなくチラシまで作成し全戸配布しています。上記の読売新聞記者が書いているように、だまされて日本軍「慰安婦」にされた16歳や17歳の少女たちのことを「日本軍性奴隷」ではないと、現在の「読売新聞」は全社をあげて日本国内外に発信しているわけです。今の「読売新聞」の報道が、当時16歳や17歳の少女であった女性たちの人権を蹂躙し、セカンドレイプし、女性への性暴力容認、戦時性奴隷制肯定・拡大を扇動するヘイトスピーチでなくて何だというのでしょうか?

いま「読売新聞」や「産経新聞」、各週刊誌などと同じように「慰安婦=日本軍性奴隷制」は存在しなかったと主張している人達は、16歳や17歳の少女をだまして「慰安婦」にしたことが戦時性奴隷ではないとヘイトスピーチしているネオナチ団体や在特会などと同列の存在になってしまっていると思います。

ここでも「大日本帝国を取り戻す派」は、正義を行う理想の大日本帝国が「慰安婦=日本軍性奴隷制」など世界から批判されることを行うはずがないので、「強制連行の公文書がなければ性奴隷と言えない」とか「慰安婦は当時どこの国も活用していた売春婦に過ぎない」とか、とにかくあらゆる詭弁を使って正当化しようとしています。

強制連行の問題は何度か指摘していますので、ここでは「慰安婦は当時どこの国も活用していた売春婦に過ぎない。だから日本だけが非難されるのはおかしい」というような言い分が許容されてしまう問題について感じていることを最後に書いておきます。

女性への性暴力や差別など女性の人権を蹂躙する状況を正当化するような主張が公人から公然と発せられる日本

「大日本帝国を取り戻す派」のように、女性の人権を蹂躙した自国の行為を「当時は売春として正当化できる」というような主張が許容されてしまう先進主要国は日本以外にはないと思います。そんな主張をする政治家が支持を集めている先進主要国も日本以外には存在しないと思います。

先進主要国の政策決定のベースとして、女性への性暴力や差別など女性の人権を蹂躙する状況を正当化するような主張が、とりわけ立法・行政・司法の権力者、公人とマスコミ(第4の権力)によって、なかばキャンペーンのように大々的に展開されてしまうようなことは、女性への性暴力・差別・人権蹂躙を助長する巨大な暴力そのものだという認識が大前提にあると思うのです。

ところが、日本社会では、マスコミを含む権力者による女性への巨大な暴力が許容されてしまっています。それが歴史認識の捏造問題とダブルで正当化される「慰安婦問題」の根深さではないかと感じています。

少女売春=JKビジネスの拡大も男性の側の「買春」は問題にされず、少女の側の「売春=自己責任」だけが問題にされてしまう日本
そして、女性への巨大な暴力を許容してしまっている日本社会だからこそ、AV出演を強要される被害が続出しても「自己責任」として女性の側をバッシングしたり、男性の側の性的な欲求に応える巨大なシステムが今の日本にできていて、少女売春=JKビジネスが広がっていても、男性の側の「買春」は問題にされず、少女の側の「売春=自己責任」だけが問題にされてしまうような状況にもつながっているのではないかと思います。

NHKクローズアップ現代は、「広がる少女売春〜“JKビジネス”の闇〜」で次のように指摘しています。
日本の社会全体として、買春することについて、非常に寛容な社会なんですね。今まで買う側の男の人の姿が見えてこなかった。男の人の姿を見させるべきだし、それから声を上げてきたのは女性たちですけれども、男性のセクシャリティーもおとしめられてるんですね。男性も積極的に自分のセクシャリティーはもっと大切なものがあるんだよということを、男の人たちみずからに言ってもらいたいというふうに思います。

出典:NHKクローズアップ現代「広がる少女売春〜“JKビジネス”の闇〜」

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3545_all.html

「慰安婦問題」は国家権力による巨大な女性への性暴力の問題であると同時に、男性のセクシャリティーもおとしめられてる問題として、日本社会の歪みが集中的にあらわれている課題だと思います。男女の社会的差別をなくす「ジェンダーフリー」の運動や教育が世界で広がっていますが、これを否定したり男女共同参画に反対しているのも「日本会議」=「大日本帝国を取り戻す派」であることは偶然ではありません。「大日本帝国を取り戻す派」は「女性差別(家父長制)を取り戻す派」と同義なのです。「慰安婦問題」で巨大な女性への性暴力を強める安倍政権の「女性活躍」の中に女性の人権を守り発展させるものがないのは当然といえば当然なのです。

セクハラヤジとセカンドセクハラに邁進する「日本会議」=「大日本帝国を取り戻す派」

それから、都議会の「セクハラヤジ」の問題です。「セクハラヤジ」を行った鈴木章浩都議も「日本会議」=「大日本帝国を取り戻す派」ですし、「(僕だって)『まだ結婚しないの』と言いますよ。平場で」と発言し、いま問題になっている野島善司自民党都議も「日本会議」=「大日本帝国を取り戻す派」の議員です。セクハラ防止も含めた「男女共同参画社会推進議員連盟」の議連会長になった野島善司都議本人が自ら「セクハラ常習犯」だったわけですから、安倍政権の「女性活躍」と同じ構図です。

「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」が「35歳は仕事より出産しろ!? 野島都議だけじゃないセクハラヤジ擁護論」で、鈴木章浩都議らの「恐るべき“セクハラ鼎談”」を紹介しています。その一部です。

女性がセクハラを主張することは男性差別であり言論統制、弾圧
ヤジによって彼女が傷つけられたという部分だけをセクハラにして問題にするのは、私は違和感がありますね」 「(セクハラヤジを)封殺するのは、一種の『ポリティカル・コレクト』です。自分たちから見た政治的な正しさから言葉狩り、言論封殺で政治運動を行うわけです」 「『セクハラ』の概念を使うことによって、女性は主導権を握ることができるようになるのです」などと、セクハラを主張することは男性差別であり言論統制、弾圧だとさえ主張

出典:本と雑誌のニュースサイト/リテラ「35歳は仕事より出産しろ!? 野島都議だけじゃないセクハラヤジ擁護論」
 http://lite-ra.com/2014/09/post-474_2.html

セクハラを問題にしたり、女性の人権を守ると「人類は滅びます」
「『セクハラ』という言葉が発明されたことで、女性が腫れ物になったという一面もあります」 「それはフェミニズムの影響です。結婚するしない、産む産まないは個人の自由だとか、自己決定だとか、フェミニストたちが言い始めたためです。(略)そんなことをしていれば、人類は滅びます」

出典:本と雑誌のニュースサイト/リテラ「35歳は仕事より出産しろ!? 野島都議だけじゃないセクハラヤジ擁護論」
 http://lite-ra.com/2014/09/post-474_3.html

男女共同参画局は廃止すべき
細川「フェミニズムがここまで広がったのは、内閣府の男女共同参画局の影響力も大きいのではないかと、私は思います。廃止すべきです」(中略) 多くのタカ派オヤジの本音、そして、オヤジの価値観を内面化した名誉男性とでも呼ぶべき“タカ女”の認識がこれでお分かりだろう。セクハラなんて言葉こそ“悪”であり、女性が傷つこうが関係ない。「早く子どもを産めというのはセクハラでもなんでもなく社会常識で、これが正論だ!」という恐るべきセクハラ攻撃鼎談。 こんな鼎談にノコノコ参加した鈴木都議は、2人の“セクハラヤジ”大擁護を受けて気が大きくなったのか。最後にダメ押し“セクハラ”発言で鼎談を締めくくった。 「政治家として少子化対策を訴えるならまずご自分が結婚されて、その経験をもとに語るべきではないか」 身体と頭にこびりついた差別意識は、あれほどの批判を受けても払拭することはできないのだろう。卑劣で無神経なセクハラ発言は止まりそうにない。

出典:本と雑誌のニュースサイト/リテラ「35歳は仕事より出産しろ!? 野島都議だけじゃないセクハラヤジ擁護論」
 http://lite-ra.com/2014/09/post-474_3.html

セクハラ被害者やレイプ被害者に対して、「セクハラされた側、レイプされた側に問題がある」というセカンドセクハラ、セカンドレイプが上記のように、この日本では「大日本帝国を取り戻す派」や一部のマスコミによって行われています。セカンドセクハラ、セカンドレイプを展開する側の意図は、被害にあう女性からの告発の動きの封殺、女性の人権意識が高まることの封殺、とにかく女性を萎縮させておきたいわけです。とりわけ、「大日本帝国を取り戻す派」によって吹き荒れている「慰安婦は売春婦」というセカンドレイプの嵐は、国家権力によるヘイトスピーチ・性暴力・性差別を「取り戻す」ことと連動していると思うのです。


井上伸
国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
posted by ヨッシー at 18:32| Comment(0) | 安倍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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